さてさて!前回記事で腹ごしらえも完了し、エンジン全開で旅を再開!
●対馬ランチ記事
続いて向かったのは小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)です。
小茂田浜とは?当時世界最強のモンゴル軍が攻めてきた!?
タント号で走ること約1時間ほどで到着しました。
小茂田浜神社は、元寇で戦死した兵士を祀っています。元寇、小学校の授業で習いましたよね~。今から745年前、1247年(文永11年)に3万もの元・高麗軍(現在のモンゴルと朝鮮半島)がこの地に襲来しました。ちなみに、元寇は2回ありますが、これは1回目のときですね。この時、対馬の軍はわずか80騎。。。軍を率いていた宗助国(そうすけくに)をはじめ多くの兵が凄惨な死を遂げてしまいます。ちなみに、宗助国は小茂田浜神社の主祭神です。
宗助国は、兵を励まし奮戦したものの、命を落としてしまったと。『厳原町誌』の抜粋とあります。この町誌、ぜひ読んでみたい・・・!
元寇は、皆さまご存じの通り、神風が吹き荒れ元軍が撤退します。一説には一回目の元寇では神風は起きていないということも言われているとか。しかし、神様のご加護だけで国難を乗り越えたわけではありません。こうして、国を守るために多くのご先祖さまが戦い抜いた結果だと思います。
奥に進むともう一つ鳥居と、社殿があります。海神神社や和多都美神社とはまた違う空気。近くは海で小さな船もいくつか停まっていて、穏やかな雰囲気ですが、少し儚げな気持ちになってしまいます。
650周年の記念碑もあります。ちなみに、元寇の際、政権を握っていたのは北条時宗。元は何度も使者を派遣し、日本に対して服従を迫りました。しかし、時宗は黙殺(笑)というのも、元がよこしてきた手紙は非常に無礼だったとか。まぁ、当時世界最強と言われていたわけですし、小さな島国なんぞ・・・と思っていたのかもしれません。また、元寇の際、一緒に攻めてきた高麗は元の属国だったわけですが、ひどい扱いを受けていたことも黙殺した理由だったのでしょう。ほんと、今の政治家たちに見習ってほしいですよね(怒)
元寇のときの解説もあります。ここに記載されていますが、宗助国のお墓参りもしたかったんですが、今回は時間がなくあえなく断念・・・。ここに記載されている通り、首塚、お胴塚とお墓がバラバラであると。壮絶な最期であったと記載されています(涙)また、小茂田浜神社では毎年11月の第二日曜日に大祭が行われるそうです。そう、私が対馬に来た前日だったんですよ!見たかった!!!この案内版に記載の「鳴弦の儀(めいげんのぎ)」という儀式や、武者行列など行われるそうですよ。
小茂田浜です。この地に、3万もの大群が押し寄せてきたとき、宗助国やご先祖さまは何を想ったのでしょうか・・・。命からがら戦場を抜け出し、大宰府に元軍が攻めてきたと伝えに行った兵がいたと聞きます。当時の対馬の人々も虐殺されたり酷い目にあったそうです。彼らの尊い犠牲のもとに、今の日本があることを忘れてはいけないですね。今の日本は情けなく、ご先祖さまに申し訳ない気持ちでいっぱいですが、私にできることをやっていこうと強く誓いました。
さて、対馬の旅も次回でいよいよラストです!